Sの場合

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「また崩れてしまったか。交互に呑むのはやめて、カードで決めよう」

「悔しいですね。これで間違いないと思ったのに。上手くいかないな」

「でも、脳みそを作るには良い夜だよ」

Sはサウザ・テキーラのショットグラスに脳みそを作ろうとしていた。

グラスにリキュールを幾つか注ぐ。

リキュールは液体の重さがそれぞれ違うから、重たいリキュールはゆっくりと下部に沈む。

最後のリキュールの積み重ねた塊が小さな脳みそに見える様になるまで。

脳みそを作る日は、一際静かな夜が多かった。

脳みその夜、僕達の立場はいつも曖昧だった。

座った席は22時過ぎから変わっていない。

僕が1人の傍観者へと置き換っただけ。

Sは笑顔を作るのをやめ、面白い小話も連れてこない。

店内は音楽すらなく、夜のしじまとなる。

Sは透明なグラスをカウンターの端に幾つか並べ終えると数種類のリキュールを傍へ置いた。

Sは始めにグラスの7割近くを手早く数種類の何かで満たした。

問題はその先だった。

彼が最後に選んで使うのはクリーム系のリキュール。

右手でボトルの首を掴み、逆さにする。

親指の腹でその口をキツく塞ぐ。

指先を僅かに動かして、その隙間から一滴ずつリキュールをグラスに落としていく。

その合間、いつもSは息をしていない様に見えた。

僕にも薄っすらと緊張感が生まれる。

風のない森で木の葉から落ちる雨露の音を探しに来た様な気分だ。

時間をかけ、一滴一滴、慎重にグラスの底へ落とし、重ね合わせていく。

Sはそれらの注ぐ順番を幾度となく変え、適さないと判断したら違うものに切り替えた。

それでも、脳みそはいつも途中で崩れてしまった。

成功しない理由は彼の腕のせいじゃない。

僕もSも脳みそを作るのに必要なレシピを知らなかったからだ。

彼のレシピは脳裏に留まった過去の残像だった。

必要な液体を包む瓶を、
分離した液の層に必要な重さを、
始めから僕らは知らなかった。

ある時、Sの眼の前で脳みそがあった。

Sはその再現を試みていた。

僕等は崩れかけた脳みそを二人で何度も喉に招いた。

結局、Sが働いていた間に、脳みそが完成する事はなかった。

「Sは、今どこに居るか知ってますか?」

先日、友人と会った時に、Sの事を訊かれた。

彼はSと同い年で仲が良かった。

最近になって連絡がとれなくなった。

彼が何処に居るか僕にはわからないし、連絡もとっていない、と伝えた。

「急ですよね。何かあったのかなと気になって」

「放っておいたらいい」

「え?」

「誰にだってそういう時はある」

テーブルのコーヒーが冷めていたので、僕はもう一度、注文し直した。

そういう時がある。

誰だって笑わない日がある。

酒も音楽も要らないことだってある。

ずっと無闇にカクテルを作る事も。

誰にだって、そういう時はある。