Eの場合

 

 

「見てくれよ」とEが声を漏らした。

彼は右手の指を僕へ突き出す。
爪が万年筆の先っぽの様に尖っていた。

「何があった?」と聞くと、Eは「もうTは無理だよ。恋が終わった」と言った。

でも、彼の恋は始まっていなかった。ただの想いでしかなかったから。

そのTへの想いは行き着く先が無くなると、シャボン色から泥に変わった。想いは最後に彼の爪を尖らせた。

彼はノートに想いを綴った。何冊も。ニーチェとなった彼の言の葉が並んでいる。僕はバイロンの詩を彼に伝えると「俺はまだ彼女1人しか……本当はそれも分からないけど」と言った。

僕は彼のノートを1枚1枚めくり、彼の透明な想いを読んだ。そして、爪を尖らせている前の日を開いた。もうどこにも愛や恋は居なかった。強い憎しみをボールペンでなぞるEに溜息を零した。

「うん、わかった。いい考えがある」

「なに?」とEが僕を見る。

「これさ、全部燃やそう」

僕は自分のアパートの眼前に映るにんじん畑へEのノートを運んだ。午前2時頃だった。ノートを土の上へ落として、サラダ油とウォッカをかけた。火の灯ったマッチを何度も投げ入れた。ノートは上手に燃えなかった。ほんの少しずつ炎につつまれ、ウォッカを飲み干す頃にようやく消えて無くなった。


15年経っても、その話をする。

しばらくして彼はちゃんと恋に落ちた。

キルケゴールドゥルーズも要らなくなって、訳の分からないノイズやアバンギャルドも必要としなくなった。

愛について調べ過ぎた男が、愛に触れてから考えるのをやめた姿を眺めて、お酒を口に運んだ。

見知らぬ街に出会う時のようだ。僕らの街は何も変わらない。シャッター街はそのままで、新しい箱は形と色が薄っすらと変わるけれど、本当は何も変わっていない。でも、彼はどこかにある新しい街のようだった。

ノートが燃えた頃、僕が彼に送ったバイロンの詩の好きな一節は、

「ああ女よ、その契りは砂の上に彫られたようなもの」だった。

恋人同士は、永遠を語り合う。
互いの死を見たくない。
永遠に一緒に居て、見届けてもらう者になりたがる。
子供の話をする。
子供の名前も語らう。
家について話し、どこにいようかと想いを巡らす。
情事が永久に続くと勘違いをする。
海辺の近くだったり。
換気扇の音が煩かったり。
でも、風が吹いたら消えてしまうくらいの誓いなのかもしれない。
思いも寄らぬ早さで、(命が尽きるよりずっと前に)愛やら恋を囁いた対の掌は消えてしまう事もある。

Eはいい感じに燃えている。
ずっと続くと良いな、と思った。

僕の学んだことは、彼が知ると面白いかもしれないけれど、ずっと知らなくても良い様な気がした。ノートが燃えた日だけで十分だと思う。もうEに伝える詩は用意していない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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