27/11/2001 序

 

倉庫となった古本屋に居た。

広い倉庫の2階に梯子を使ってたどり着いた。
本当は2階を散策してから1階へ戻り、僕が気に入る様な小説を探すつもりだった。梯子の上、2階には海外小説が並び、下の階には日本小説が犇いていて、求めていた物は、梯子の下にあると思い込んでいた。

僕が本を読むきっかけは、母が死ぬ1週間前に病院のエレベーターの前にあった本棚に眠っていた村上春樹の本を手に取った時だった。
今となってみれば、どうして病院に『風の歌を聴け』なんて置くのかという想いがあるけれど、僕は母の病床の傍らで読み耽っていた。
無常感や、不条理が垣間見れる小説は15歳が感じる焦燥を掻き立てる。僕はそんな時、初めて小説を読もうと決めた。

舞台を古本屋の倉庫に戻す。

僕は2階にある左から2つ目の本棚を眺めて、ティム・バートンの『オイスター・ボーイの憂鬱な死」を手に取った。僕が初めて買った本だ。小説とエッセイの区別もつかないし、絵本は大きい形をしていると思い込んだ少年が変わった本だな、と選んだ本だった。僕はその本と、フレデリック・ペグベデの『?999』というタイトルの本を手に取って古本屋を後にした。

不思議なことに2つの本は、日本文学を想う少年に説明できないシコリを残した。
良い意味でね。

僕はその後にレイモンド・カーヴァーに触れ、トルストイの思想を知り、流行りのサリンジャーに手を染め、ドストエフスキーで忍耐を学びながらカフカに落ちて、絵を描いた。

何でそんな話をするのか?って思うかもしれないけれど、何か話したくなったから、こうだったって話をしているだけだよ。

その頃、僕は料理がさっぱりダメだった。本当はその話をしたいのだけど、時間がない。1日が終わって、もう明日が今日になって、昨日の今日になっているから。

これはただの日記だ。
僕は、僕の話を理解して欲しいわけじゃない。誰にも理解されたいなんて思わない。だって僕も誰かの事なんて理解できないんだから。貴方(貴女)が住む家の屋根の色も本当は言葉じゃ理解できないから。それでも伝えてみたいなんて、それだけは悪い話ではないだろう。
ノートに書いていた言葉がここに並んでいる。不思議な事だけど、火に焚べる薪みたいに思って、僕の話をしている。

僕が絵本と小説を買った日、クイーンのオペラ座の夜とエリッククラプトンのライブ盤レコードを買った。

そしてある日の朝、クイーンの'39が流れる頃に、母の息が途絶えた。

僕はシャワーを浴びて、頭を拭いてバスタオルが髪の毛に寄り添ったまま、ベッドの上に居た。

父に電話を掛けた。

「あぁ、どうした」と父が言った。

「涙が出ないんだよ」と僕は言った。

父は何も言わなかった。

「本当はずっと前からなんだよ。こうなるって分かってたからなのかな」と僕は言って、電話を切った。

 

 

 

 

 

 

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