スピノザと焼肉

僕はそんなに頭が良い人間では無いから、難しい話は好みじゃない。先日、女性に「お家にビジネス書とか有ります?お薦めのものとか」と聞かれて、読んだ事が無いと答えた。


ビジネス書を読むし、音楽評論も眺めながら、哲学書を漁る向上心の申し子みたいな友人が居るので、彼女に紹介しようと思った。


先般のそんなやり取りを思い出しながら、紹介しようと考えた男が目の前に居る。焼肉屋で哲学の講義をしているこの男だ。


僕はお酒を片手で回しながら彼の話を聞いて、もう2時間近くになる。


「俺は、スピノザに救われた」と彼は言った。


「そうか」と僕は答えてから、お肉の焼き加減に目を配る。そして、食べる。うん、美味しい。


「責任というのは、社会から生まれたものだから、本質的に元々備わっていたものじゃないんだよ」と彼が話を続けるので、僕は頷いた。そして、桜ユッケも美味しい。


「その事に救われたんだ。俺は自分は無責任な人間だと思っていた。ずっと生まれた時から自分には責任を持つという自覚が欠けているんじゃないかと。そんな時にスピノザと出会った。彼の本や、それから色々と読み進めるうちに、人間が現れ始めた頃、責任の度合いなんて存在しない世界があったはずだと考えた。哲学もそうだけど、人が思考する様になってから色々作られてきた。責任というモノがいつの間にか後付けされたものだって考えたら、責任を感じる力なんて本当は始め必要無かったんだって。大人になるにつれ、当たり前の様に今は責任があるけど、始めからあったモノじゃない。責任を感じとる力やその質はギリシャ神話が創られる遥かずっと昔から本質的に求められていたモノじゃないって考えた時に、俺は気がずっと楽になったんだよ」


ようやく僕が話す番になった。


「悪いと思う事も、本質的には始めから悪いわけじゃなかったけど、いつのまにか定義されて悪くなった、みたいな」


「そう。だから暴力だって本来は悪ではない。っていう都合のいい言い分にはなる」


「そうか。なぁ、学者さんて我儘だよな。自分の考えを説こうとするから、この考えを認めてよってみんな我儘を言ってる」


「それはある。自分にとって都合の良い説明をしたいし、それを通そうという我儘はある」


「でも、そんな我儘に君は救われた」


「そうだな」


「我儘って悪くないな。僕はこのままでいいけど。あのさ、面白い話してよ。つまんなかったら殴る」


「いや、ちょっとは抑えろよ」


で、その後はやっぱり、難しい話でスピノザと別の哲学書の話と性に関する理論の三本立てになった。


今日の焼肉は美味しかったな、が僕の感想です。

 

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