深瀬の場合

 

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Facebookに友達申請をしてきた正芳に許可をするかどうか躊躇って、僕は放置している。もう2ヶ月が経過した。そんな正芳に捧ぐ

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僕と正芳は、真夜中の海にいる。その砂浜には朽ちた船が埋まっていた。船体の上下は逆さまで、船の上部は地中に隠れている。僕らは朽ちた船底をベンチ代わりにして腰をかけた。海へと僕が至る前(正芳が電話をかけてきた時)、彼は何も言わなかった。だから、僕は砂浜に僕ら以外の誰かが居ることを知らなかった。その女の子は深瀬という名前だった。彼女は船に寄りかかって、扇子を揺らしていた。

正芳は陸上部で、部活動に励んでいた。彼の肌は、こんがりと焼けている。本当に真っ黒だった。彼は不良に憧れているせいで、無駄に素行が悪いふりをしていた。とても細やかな見栄だけど、彼はそれが自分のアイデンティティだと勘違いしている。ただ、真面目に部活をしているものだから、夜の海辺では彼が歯を剥き出しにしないと見つからない。僕は彼の白い歯が見えた時に限って、そこにいるのが分かるのだ。正芳らしさは他にもある。彼は女性の前だといつも虚勢を張るのだ。まず彼が僕を見て言ったのは、「来るのがおせーじゃねぇか!」だった。僕はその女性の前で必ず語気を強めて話す正芳が好きだった。子供ながらに男は些細な見栄がその都度、訪れるのだ。

そんな正芳と、僕は真夜中に待ち合わせをする羽目になった。だから、初めて海で深瀬を見かけた時、僕は彼女に感謝した。僕が正芳を見つける事が出来たのは彼女のおかげでもある。真っ黒な正芳とは正反対に、船旗の代わりになってくれていたのが彼女だった。でも、彼女を見かけた時、僕はなぜ右手にぶら下げたウォッカをひっかけてから海辺へ来なかったのか、残念に思った。そこに男と女が1人ずついるのだ。酔った事にして帰りたかった。

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深瀬は金色の髪をしていた。ちょっとした美人だ。小柄なのに制服が似合わない。表情に大人っぽい雰囲気があった。柑橘系の香水と化粧の匂いが闘っている。真っ白な肌をしていて、丹念に描かれた目がある。でも、そのメイクが落ちた時、どんな顔になるのか想像がつかなかった。ずっとスカートから出突っ張りのショキッングピンクの下着、時折隠しては口元に這わす扇子。とても存在がうるさい女の子だと思ったのが、彼女へ対する第一印象だった。

僕らは船から降りた。深瀬は持っていた扇子を砂浜へ放った。それから僕の前へ移動すると、顔をじろじろと見た。そのまま彼女の視線は僕の眼から砂にまみれたビーチサンダルまで移動した。

「君さー」と深瀬が言った。僕は彼女の言葉を待った。ロブ君だよね?正芳君が言ってたから、君がそうだよね?と彼女は言った。そうだ、と僕が答えると、深瀬はまた僕の眼を見た。

「うん、いいね!眼がいい!その眼がとても気に入ったよ!付き合う?」と深瀬が言った。僕は、イヤだと直ぐに断った。深瀬は少し驚いた様子だった。でも、彼女は理由まで聞かなかった。

「女の子と2人でいる時に呼ぶなんて、お前は僕に何か恨みでもあるのか?」と僕は正芳に言った。誰が他人の性的な予感に塗れた海辺に呼ばれて喜ぶのか。少なくとも僕は面白くなかった。

「いやさ、深瀬は池田の彼女でさ」と、正芳はぽつりと言った。

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2人の話を聞いた。まとめると、正芳は深瀬に気がある。深瀬は大して正芳に気はないけど、花火がしたい気分だから一緒に海へ来た。池田はそれを知らない。深瀬は最近、池田が好きか嫌いか分からない。正芳は池田と揉めたくない。でも、深瀬とはどうにかなってみたい。つまり、正芳はヘタレだった。深瀬への想いより、最後は池田への畏怖が勝って人を呼ぶヘタレだった。僕はウォッカを口に運ぶ。

僕は正芳が用意した花火を確認した。ロケット花火、15連発花火、花火の詰合わせ。15連発か、いいな。僕は観ようとしていた映画を止めて、海辺へきた憂さ晴らしに花火を人へ向けたかった。他人の情事に関心は無いし、ただ遊ぶことにした。せっかく来たから、花火やろう。と僕は言った。深瀬は喜んだ。正芳はなぜか黙っていた。

そして、僕は深瀬を見た。頭の先から、砂だらけのローファーまで。何?と深瀬が聞くので、その靴脱いでよと僕は言った。深瀬は言われた通りに靴を脱いだ。思ったより素直な子だった。

「あとさ、その制服の上着と、リボン?みたいのとって。携帯はそこ置いといてよ」と僕は真顔で言った。深瀬は身軽になった。本当はずっと下着が見えてるのだからスカートもとっぱらおうかと思ったけど、口にしなかった。そう、それでいいんだ。きっとスカートの下から下着がずっと見えてるのが、彼女が彼女であるということなのだと僕は思った。

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僕は深瀬の手を掴んで、海へ向かった。深瀬は少し戸惑っている様で、あまり話さなくなった。波打ち際まで来ると、海面に映える月明かりの真ん中まで移動した。波が足を撫でると、冷たいと言って深瀬は笑った。その様子をしばらく見てから、僕は深瀬を抱き上げた。

僕の人生で初めてお姫様抱っこをしたのは、深瀬だったと記憶している。夜の海辺、男と女、波打ち際、月明かり、抱き上げた女性の腕が首元に絡みつく……そんな事、僕にはどうでも良かった。待ちぼうけしている花火を考えていた。

抱き上げた深瀬は、静かだった。僕は彼女を抱き上げたまま、海へ歩いて行った。僕の足首、脛、太ももまで海に浸かる。ここらへんが、ちょうどいい。僕の腰が濡れた。僕は深瀬の顔を見た。深瀬はずっと僕の顔を見ていたのかもしれない。

「深瀬さ、泳げる?」と僕は聞いた。深瀬はえ?と言って、急に騒ぎだした。いやいや!とか、待って待って!とか、何かをずっと言っていて、うるさかった。僕の首元へまわした深瀬の腕に力が入っていく。深瀬は勘違いをしている。僕が深瀬を海へ放るのだと。おかしな話だ。僕は彼女が初めて僕の顔を眺めた時に、放った扇子を思い浮かべた。ぽいっと何事もない様に彼女は扇子を砂浜へ放ったのだ。僕は彼女を扇子の様に扱うつもりはなかった。

僕の人生で初めてお姫様抱っこをしたのは、深瀬だったと記憶している。僕の人生で初めて女性をお姫様抱っこしたまま海で夜空を見たのも、深瀬だった。そして、お姫様を強く抱えたまま、目を瞑って、背中から海へ落ちる事にした時に傍にいた女性も深瀬だったと記憶している。

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海へ落ちて、ずぶ濡れの深瀬が海面から現れた。彼女は何かをわめいていた。そして、どうでも良くなったのか、笑った。深瀬は笑いながら、僕を海へ突き落とそうとする。もう遅いのだ。僕だって濡れている。でも、そこに彼女はいるのが分かる。彼女を見失わなくてすむ。月明かりに僕は礼を言う。月明かりに背を向けているから、深瀬の顔はよく見えない。でも、それくらいでいいと思った。

海で戯れた後、濡れたまま花火をした。間違って火の粉が飛んでも、彼女は大丈夫だ。その為の着水だったのだから。花火の後、正芳のジーンズだけに穴があいた。

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花火の後、僕は浜辺に座って海を見ていた。ウォッカをとりあえず口に運んだ。少ししてから深瀬が僕の隣に座った。

「池田のどんなところが好きなの?」と僕は深瀬に聞いた。別に気になった訳ではないけど、正芳と海に来るぐらいだから、何かあるのだろう。僕は深瀬が池田のどんなところを好きなのか、何が嫌いなのか、最近どう思ってるのか、どうしたいのかを聞いた。まぁ僕には関係ないことなんだけど。

話終わって、僕はまた海を眺めた。ロブくんさ、と深瀬が僕の名前を呼んだ。

「チューしてあげよっか?」と深瀬は言った。深瀬の方を向くと、彼女はそれっぽい顔をしていた。

「あー、大丈夫。僕は深津絵里が好きだし、あとピンクのパンツがずっと見えてる子とか趣味じゃないから」と僕は言った。

「うわー、そーっすか。はい、そうですか」と深瀬は言った。ちょっとイラッとした時にこういう顔をするのかと僕は思った。

「まぁでも楽しかったよ、本当に。今日は」と深瀬は笑いながら言った。

「よく分からないけどさ、もっと池田と話したら?僕は自分の恋人が他の男に海へ落とされるのも、他の男が僕の良いところや、悪いところを恋人から浜辺で語られてるなんて気持ちよくはないな。もし、それを聞いたら、もっと二人で話したいなって。自分の好きな人が何を考えてるのか知りたいって思うかな」と僕は言った。

「そうね」と砂浜へ目線を落として彼女は言った。

海を眺めながら、僕には女心って分からないなって思った。でも、少しだけ説明できない気持ちが芽生えた。

「今度は池田も連れてきてみんなでやりたいな、花火。ま、今日のことは池田に言ったら、お前も怒られると思うけど」と僕は言った。

まぁ言えないよね、と砂浜を見つめて深瀬は言う。僕は砂浜と仲良くしていた尻を上げる。

「でもさ、これで良いんだよ。きっと」と砂を払いながら、僕は深瀬に言った。深瀬が僕に目線を移した。僕も深瀬の顔を見た。

「なんかさ、今日みたいな日があっても良いかなって思ったんだよ、僕は。だから、今日はきっとこれでいいんだよ」と僕は深瀬に言った。僕はどんな顔をしていたのだろうか。そこまでは思い出せない。深瀬は何も言わなかった。でも、少しだけ嬉しそうにして、彼女はうなずいた。

 

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