君の中の君
1
「おっはよー。ねぇ、生存してる?」
真っ昼間に、絵里が電話をかけてきた。
「起きてるよ。どうした?」と僕は返答する。
「今日、これから友達の個展へ行くのね。その後、吉祥寺で茶しばこ。サルとリスの気分なのよ」
「え?動物園?カフェ?」
「イエース!」
(いや、どっちだよ。やっぱり、このテンションめんどくさいな。)
というわけで、無駄にテンションの高い旧友と、井の頭自然文化園へ行く事になった。
僕は彼女と電話をしながら、動物園の入園時間を調べ始める。
絵里は、出掛ける時に計画を立てない。
思い付きでしか行動しないからだ。
そんな彼女は、何も調べずに何処かへ向かう。
それが、今だ。
だから、井の頭自然文化園は16時までに入園しなくてはならない事を、彼女は知らない。
僕は、入園時間を彼女に告げる。
「マジか。あ、余裕。15時40分くらいに電車が吉祥寺着くわ。井の頭公園の橋で待ってて。2分で行くから」
僕は、待合せ場所に到着する。
人口密度が毎日高めの通り道。
まぁ2分で着くわけないよな。
僕は橋の上で、公園のボートに乗る男女のそれを眺める。
いつもどおり、キラキラしてますな。
腕時計は15時41分を示す。
あと1分か。僕は公園の玄関口となる階段に目をやる。
すごい速さで階段を下る女が見えた。
そして、そのまま公園を走り抜けてくる。
あいつ、足が速かったんだな。と僕は思った。
「すごいな。本当に時間通りだ」
「はぁ、はぁ、は、はし、走ったからね」
(知ってるよ。むちゃくちゃ速かったもんな)
僕は、久々に会った絵里を眺めた。
彼女は服の系統がよく変わる。
今はボーイッシュな格好が(彼女の中でだけ)キテるそうで、確かにパンツ姿で走りやすいのかもしれないなと思った。
長かった髪もバッサリ切っていた。
彼女の足元に目をやって、僕は驚く。
(こいつ、高めのヒールを履いてやがる。この靴で2分?最強生物かな)
彼女は姿勢を前屈みにしたまま、1分間ほど息を整えていた。
「とりあえずチケット買おう。はぁはぁ」と絵里が言う。
「そうだな。僕は初めてなんだけど、あそこが入口?」
「だねー。ま、私は学生時代から何度も来てるけどね。いやー久々にリスと戯れたいわ。早くサル見たいわ」
15時45分。無事に入園できそうだ。
2
チケット売り場で「大人2枚お願いします!」と絵里はテンション高めに、スタッフのお兄さんへお願いする。
「念願のサルやわー」と彼女は言って、まだ動物園の外なのに、浮かれ始めた。
『あ、あの…』と、スタッフさんの小さな声がする。園内の地図を手に持っていた。
『もしかして、動物園へ行く予定でしたか?こちらは分園の水生物園なので、鳥と水生物しか居ませんが、大丈夫ですか?動物園はここからだと15分はかかるので、もう入園は出来ませんが……』
(へ?)
「えーと、すみません。サルやリスは動物園ってことですよね?」と僕はお兄さんに再確認する。
お兄さんが『はい』と小さい声で返事をした。
「えぇえぇえぇぇぇぇっ!!」
絵里の叫び声に驚いたスタッフのお姉さん達まで、こちらを向く。
「残念だけど、今日はサル見れないな」
「走ろう!」と絵里が言う。
「本園まで結構な距離だよ」と僕は言って、時計に目をやる。
もう15時50分を過ぎていた。
「走ったら、間に合いますよね!?」
絵里は、必死だった。
『間に合わないと思いますよ』
スタッフさんが、彼女にトドメをさした。
(彼女が見たいのは、サルとリスだ。鳥や水生物だけなら見ないだろう。)
僕はどこのカフェへ行こうかと、考え始める。
『どうなさいますか?』とお兄さんが聞く。
「はい、チケット2枚ください」
静かな声で、絵里は答えた。
(え?何で!?)
「2枚ください。はい。ありがとうございます」と言って、絵里はチケットを買った。
僕らはチケットをスタッフのお姉さんへ渡す。
チケットにスタンプを押すお姉さんも、不思議そうな顔をしている。
そりゃそうだろう。
絵里は、全く楽しそうじゃない。
僕らは水生物園に入った。
3
彼女の心だけが、遠くへ行ってしまったみたいだ。
絵里は、僕の背後をゆっくり徘徊する。
顔を覗くと、目が据わっている。
急に口を開かなくなった彼女が、少し気の毒になる。
「まぁ絵里もあんなに走ったし、とりあえず、何か見たいよな。サル見れないのは悔しいだろうけどさ。面白い鳥とかいるかもよ。せっかくだし、楽しもうな」
あれ?返事が聞こえてこない。
時が止まってる?
「おーい、絵里」と僕は名前を呼ぶ。
「え?」と言って、彼女が僕の顔を見た。
「あれ?え、ここ、何で?」と彼女が言う。
「え?水生物園の中だよ」
「私達、なんで入園した?」
(はぁ!?)
「いや、知らないよ。絵里がチケット2枚って買ったんだろ」
彼女は混乱していた。
「うわ、何で。ちょっと待って。あーまだ混乱してる。え、鳥?いや、全く興味ないですけど」
(興味ない、だと。待て。落ち着け)
「というか、この動物園に何度も来てるんだろ?」
「え。あー、うん」
「何で橋の上で待合せしたんだよ。動物園の場所、全然違うじゃないか」
「それな。私もさ、驚いちゃったよ。チケット売り場見てさ、何か変だよなーって。何か私の知ってる動物園じゃないよなぁって不思議だったんだよね。あの橋見てさ、ここ何処だろーって。私、この水生物園だっけ?来たことないわ。何で橋の上で待合せしたんだろうね」
(あぁ、なるほどな。最近、こいつに会わなかったからな。昔からこういう奴だったよな。まぁいいや。コーヒーでも飲んで、さっさと帰るか……いや、違う違う。もう入園してる。僕も虚無にコンニチハしてる場合じゃないだろ)
「絵里、もういいからさ。その頭の中、はやく整理してよ。とにかく見てみようよ、鳥」
「そうね。うっし、鳥みるか」と絵里は言って、やっとコチラの世界に戻ってきた。
「でも、何でチケット買ったんだよ」と僕は聞いてみた。
「んー分からないけど、私が判断する前にさ、私の本能が先走ったんだと思うのよね。負けられないぜ!みたいな。私の中の私がさ」
「あ、だからか。その絵里の中の絵里だけど、チケット買った後、すぐ死んでたよ」