誰かの話

出会いへ至る事について考えてみる。人に誘われて出会い系アプリを始めてみたけれど、誰かのメッセージが届いても、僕はその文面に対して何を伝えたら良いのか分からず、返事ができなかったりするからだ。

人見知りではないと思っていたけれど、声や姿が見えないやり取りってなかなか大変だと感じる。目線や声って、僕にとっては大切なのかもしれない。活字を前にして、右手の親指が携帯電話に触れる事なく、ずっと空で泳いでしまう。

どんな出会いを求めているのか?
考えるけれど、考える程に求めていないって結論になる。どういう出会いがあるといいのか、真剣に考えてしまうなんて。
真剣に?
「真剣に」ならなきゃいけないくらいに、僕は求めるものが無いのだろう。

街へ散歩に出掛けて、僕が1人でご飯を食べていると、見知らぬお婆さんや、陽気なお爺さんに声をかけられる事があるのだけれど、きっと彼らは誰かと、何かを、話したくなったんだと分かる。僕はその時、いつも話を聞いて、返事をする。悪い気はあまりしない。ただ楽しくお喋りをしたいだけなら、それでいい。
でも、時折、寂しそうな人と出会う。話すことが終わると、目が空と此処の隙間くらいを見始める。その横顔は時間を巻き戻していく。またいつもの1人に戻る為の儀式を始める。何事も無かったかのように話を終えると、彼は温かい料理をまた口へ運び始める。

そんな時、目線や声色は大切なんだって思う。
「それじゃ、また」とか
「今日は楽しかった」とか
言葉そのものより
目と声がそこにあって
何かが伝わってくる様な気がする。
僕には

 

 

 

 

 

 

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